ごあいさつ 今田好一(イマタ コウイチ)

神との出会い:ノンクリスチャンの家庭に生まれるも、11歳の時、日本イエス・キリスト教団柏原教会を育成母体に持つボーイスカウト柏原1団に入団したのが神様との最初の出会いです。
その後、28歳の時、教会で挙式を挙げさせて戴き、本格的に礼拝に妻と二人で出席。1989年30歳の時、夫婦で共に受洗の恵みに与り、42歳の時、献身のみことばが与えられ、2003年4月、家内と共に関西聖書神学校に入学。
出身地:大阪府大阪市
趣味:ドライブ、野外活動(自然の景色を観る)
経歴:堺市立工業高等学校インテリア科卒業後、応接セット製造メーカーに25年勤務、後に関西聖書神学校卒業後、浜松真愛教会5年、会津若松待望教会5年、神戸中央教会(副牧師)2年、尼崎福音教会1年、2020年より小倉教会の牧師に任命される。
救い証し・私が教会に来たキッカケ
私は変えられた

「だれも、キリストにあるならば、その人は新しく造られたものである。古いものは過ぎ去った。見よ、すべてが新しくなったのである。」(第二コリント人への手紙5:17)
活き活きと人生を歩みたい。でもそうではない!変わりたいと願っていました。そんな時に教会に導かれました。神、罪、救いの聖書の勉強をして、イエスさまを信じて洗礼を授かりました。「主を愛する者を訓練し、受け入れるすべての子をむち打たれるのである。あなたがたは訓練として耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として取り扱っておられるのである」。(ヘブル人への手紙12:6~7)神さまは時には、訓練を与えられました。神さまは忍耐とあわれみをもって、私を導いて下さいました。
水と油のようであった私と母の関係に神さまは介入して下さいました。母との最晩年、長いこと願っていた母との穏やかな時を与えて下さり、また、母が洗礼にあずかりましたこと感謝でします。
新しくなってイエス様を信じて歩む人生にされたことも感謝します。
神の愛を知って

私が初めて教会に行ったのは11歳の時でした。幼い時から内弁慶で気が弱く、姉と妹、私という女性兄弟の中で育ったせいもあり、自分のことを「うち」と言っていたそうです。そのことを心配した両親が、少しでも強く、たくましく育ってほしいという願いからキリスト教会内にある青少年の活動に入団させたのがきっかけでした。しかし、28歳になるまでは殆ど礼拝には出席していませんでした。
そんな私が、25歳の時、家内と出会い、教会で結婚式を挙げたいという願いから当時の母教会の主管牧師に、教会で結婚式をしたいと申し出ました。その時先生はとても喜んでくださり、にっこりほほ笑んで「あなたなら大歓迎です」と言われましたが、その後すかさず、「それまでに日曜日の礼拝に出席しなさい。」と力強く言われました。~私は、結婚式を挙げてもらうからという思いで最初は夕礼拝に、そして徐々に朝の礼拝に出席するようになりました。
このように神について何も知らなかった私が、神の不思議な導きによって教会に行き礼拝に出席するようになりました。そして約三ヶ月後の、教会にて挙式をして戴き、その後、一応挙式して戴いたということと牧師先生への義理もあって、礼拝に月1回・2回・3回と次第に回数も多く出席するようになりました。
礼拝の中で、牧師先生が罪について語られているとき、私の方を見ている。きっとあれは私のことを言っているのに違いない。いつ、どこで見ていたんだろうかと不思議に思い、その時はとても嫌な思いをしていました。
しかし次第に、神の愛がどのようなものなのか、そして人間には罪があるということを知り、私にも沢山の罪があることを示されました。そしてその罪を赦すために、私の身代わりになって十字架にかかって死んで下さったことを知りました。
その時、幼い頃の教会の壁に「神は愛なり」と書かれていた文字を思い出し、第一コリント13章13節「このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。」のみことばが与えられ救いの恵みに与かり受洗しました。